今こそ、本当に日本の文化の中に深く入っていると言えるようになりました。この国で2年間を過ごし、宣教においてさらに一歩踏み出す時が来ました。私たちは名古屋に引っ越し、日本の教会で牧会にあたる準備をしています。
胸が高鳴ります。大きな挑戦でもあります。その両方を同時に感じています。
これから仕える教会には、私たち家族のほかに少数の教会員がいて、皆さん大人です。かつてこの教会に集っていた多くの兄弟姉妹は、すでに天に召されています。前任の牧師が以前の名簿を見せてくださったのですが、半数以上の方が亡くなっていました。
若い頃、特に高校や大学の時期に教会から離れた人もいます。日本では、その頃の勉強が若者の時間も力も大きく占めます。若者も子どももおらず、新しい世代が育たないと、教会の将来が少しずつ薄れていくように感じずにはいられません。
これは、この教会だけの現実ではありません。ほかの多くの日本の教会でも繰り返されています。人が足りず、活気が足りず、牧師も働き手も足りません。成長が大きな課題になっています。
同時に、私たち家族にも自分たちの闘いがあります。会話に加わっても、すべてを理解できないのは今も難しいことです。暮らし方、話し方、振る舞い方の違いに慣れようとして疲れることもあります。娘たちが、自分を理解してくれる友達をつくろうと一生懸命になる姿を見ると、胸が痛みます。こうなることは分かっていましたが、実際にその時を迎えると重く感じます。
これまではブラジル人教会に関わっていたので、多くのことがより自然に感じられました。それでも、最初から私たちの心に燃えていた召しは、日本の人々に向けられたものでした。だからこそ、私たちはここにいます。従順と愛と確信をもって。
宣教師としての生活を美化しているのではありません。信仰を行動に移すことです。疲れていても仕え、次の一歩がはっきり見えなくても信頼することです。
だからこそ、皆さんの支えが必要です。皆さんの祈りは、歓迎するだけでなく、欠かすことのできないものです。日本で一緒に暮らしていなくても、祈る時、皆さんはこの宣教に加わっています。とりなす時、私たちの手を支えてくださっています。
イエスは群衆をご覧になり、収穫は多いのに働き手が少ないことを語り、収穫の主に働き手を送ってくださるよう願いなさいと教えました(マタイ9章37〜38節)。これが私たちの祈りです。皆さんにも、この祈りに加わっていただきたいのです。
私たちのために祈ってください。これから仕える教会のため、娘たちのため、日本のリバイバルのために祈ってください。神がこの地に新しい時を起こしてくださるよう祈ってください。
この歩みに加わってくださり、ありがとうございます。私たちは共に、しっかりと歩み続けます。

